◆なぜ春秋戦国時代なのか?

 おそらく多くの人がそうであるように、私が中国の歴史に興味を持つようになったのは三国志がきっかけでした。友達の間で三国志が流行り、私も三国志を読みはじめました。最初は横山光輝氏のマンガの三国志でした。読んでみるとこれが面白くて、次々と読み進み、ついに横山三国志の全60巻を読破。さらに吉川英治氏の小説を読み、どんどん三国志の世界にのめり込んでいきました。
 ところが、ここで疑問が浮かび上がります。荀彧が曹操に仕えた時に曹操が、「君は余の張良だ」とか「我が子房来たれり」と言っているのを見て、張良って誰だ?と思ったわけです。そう考えるとよくわからない部分がいくつも出てきました。例えば、関羽が愛読している左伝って何?とか典韋の異名になっている悪来って何?とか。しばらくしてどうやらそれらは三国時代以前に出てくるものだというのがわかってきました。三国志の世界を極めるためには、その前の時代も知っておかねばなるまい!というわけで三国時代の前の時代にも目を向けるようになっていくわけです。
 三国時代以前のことを知るに当たってまず読んだのが『史記』でした。『史記』を読むことで、はじめて楚漢の時代や春秋戦国時代を知りました。そしてこの時期に私が春秋戦国時代に興味を持つきっかけとなった本と出会います。それが、宮城谷昌光氏の本(たしか、最初に買ったのは『晏子』)でした。当時はまだ宮城谷氏の小説もそれほど多くは出版されておらず、また春秋時代の人物を主人公にした数少ない小説ということもあり、珍しいから買ってみようという感じだったのですが、読みはじめたらそれはもう面白く、すっかりハマッてしまいました。
 こうして春秋戦国時代に興味を持つようになったわけですが、ここであることに気付きます。 ゲームや小説、マンガなど、専門的なものから一般的なものまで幅広く出版されている三国志関連の本に比べ、春秋戦国時代を扱った本は非常に少ないということです。春秋戦国時代をもっと知りたい!でも、本はあまり出ていない・・・。そこで、ある結論に達します。無いのなら作ってしまえばいいじゃないかと。とはいえ、知識も乏しくそんなことができるわけもないので、春秋戦国時代を学びながら自分なりにまとめていくことにしました。で、どうせなら他の人にも見てもらおうと。そういうわけで、このサイトを作ることにしました。


 将来的には春秋戦国時代のことならなんでもわかるデータベース的なサイトにしていきたいと考えています。そのため、できるだけ客観的な記述をこころがけていますが、私の考え方や好みが反映されている部分も多くあります。その点はご了承ください。また、記述の間違っているところ、不明な点などありましたらメールでお知らせいただければ幸いです。
 
◆春秋戦国時代とは?

前770年~前221年までの約550年をさして春秋戦国時代といいます。前770年は東周王朝がはじまる年であり、春秋戦国時代はすなわち東周王朝期であるといえます。東周王朝期は大きく二つに分けることができ、前期の前770年~前403年が春秋時代、後期の前403年~221年までが戦国時代です。この二つをあわせて春秋戦国時代といいます。
※戦国時代のはじまりについては諸説あります。

 

春秋時代とは?

春秋時代は前770年~前403年までの約370年で、この時代は周王室に代わり諸侯が力をつけていった時代です。この時代の主役は諸侯であり、天子である周王朝は次第に有名無実化していきます。しかし、完全に力を失ったわけでは無く周王室の権威は依然として存在していました。そこで、力をつけた諸侯は周王を頂き、周王室をたすけるという名目で天下に覇を唱えようとします。周王室をたすけて諸侯をまとめる者が天下の事実上の支配者(覇者)であったというわけです。つまり春秋時代とは覇者の時代であるということができます。なお、春秋時代という名称は春秋』という書物からつけられたとされています。
 

戦国時代とは?

戦国時代は前403年~前221年までの約180年です。春秋時代が覇者の時代であったのに対し、戦国時代はまさに弱肉強食の時代だといえます。大国は次々と小国を滅ぼし、春秋
時代には百以上あった国が戦国時代には十数国になり、中でも有力な七国(戦国の七雄)が天下を争うようになります。この時期、周王室はさらに弱体化し、ほとんど小国と変わらなくなります。そのため、諸侯(戦国の七雄)は「天に二日なし」という原則を破り次々と王を名乗り始めます。このように王たちが天下統一をかけて争った時代が戦国時代です。なお、戦国時代という名称は
戦国策』という書物からつけられたとされています。
 
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